▷ NESToトークライブ「築100年の石蔵がコワーキングロビーに生まれ変わるまで」イベントリポート
都心から“通える田舎”として二拠点生活、移住先に人気の小川町。コロナ禍でリモートワークに比重が移った町民が多いことを見込んで駅近くにオープンしたのが、コワーキングロビー「NESTo」(ネスト)。9月17日にリノベーション工事にかかわった関係者が集い、オンライントークライブ「築100年の石蔵がコワーキングロビーに生まれ変わるまで」が開かれました。その概要をリポートします。
目次
■リモートワークをするなら小川町へ!
■星座のようなまちのロビー
■尽きない前代未聞のエピソード
■スポットライトは大谷石と丸太梁に
■“かにクレーン”を駆使した難工事
■100年の大谷石に負けない家具とは?
■いつの日か世界のプラットフォームに
リモートワークをするなら小川町へ!
入り口の扉を引くと、思いのほかスタイリッシュな大空間が広がり「わぁ!」と声が出そうになった。天井が高く、美術館や音楽ホールのような格調高い雰囲気もあり、同時に森や洞窟の中にいるようなワイルドな感じも漂っている。なんとも心に響く空間だ。
石蔵コワーキングロビー「NESTo」は、会員制のコワーキングスペースとして今年5月10日にオープンした。こんな空間でリモートワークをしたら、さぞかし仕事がはかどりそうだ。
「皆さん、そうおっしゃいます(笑)。石からマイナスイオンが出ているという話もあります」。受付に立っていた田中操さんはそう話す。コロナ禍によるリモートワークの増加で小川町から都心のオフィスに通っていた人たちが多く利用しているそうだ。「小川町がこんなに発展するとは思いませんでした」、生まれも育ちも町内だと話す彼女は、新しい働き場所の誕生を誇らしげに語る。
小川町駅から徒歩数分と立地も良いこの蔵は、大正14(1925)年に建てられ、元は絹織物やたばこの倉庫として使われていた。およそ170㎡の平屋建てで大谷石単独の蔵としては関東最大級だそうだ。
大谷石は栃木県宇都宮市大谷町で採掘される凝灰岩。柔らかく加工がしやすいことから江戸時代から盛んに採掘され、蔵や塀となって各地のまちの景色を彩った
風格を備えた蔵のたたずまいは、当初から人の想像をかきたてる魅力があった。NPO法人あかりえ(以下、あかりえ)始め地域の団体は、改修前からオーナーの了解を得て、写真展や音楽会、映画上映会などを開いていた。大切にされてきた蔵の保存状態は良好だったが、切り出した大谷石を積み重ねて小屋組みの屋根と瓦を乗せただけのごくシンプルな構造ゆえ、万一の大地震には不安がある。そこで耐震補強工事と合わせて、まちのハブ拠点として活用していくためのリノベーションも行おうという機運が高まり、一大プロジェクトが動き出した。運営側と設計・施工のプロチームが顔合わせをしたのが昨年9月。オープンが今年5月だから、たった半年ほどで企画から設計、施工までを完了させたことになる。
今回のイベントでは、急ピッチを極めた工事の内幕を建築関係者が振り返るトークがメインとなった。短期間ではあったが、その間いかに濃い議論が繰り返され、プロの技術とまちの人の想いが奇跡的に結晶化した工事であったかが伝わる内容だった。
星座のようなまちのロビー
オンラインで行われたトークイベントの司会は、小川町地域おこし協力隊の三玉璃紗さんが務めた。参加者にはNESToのお試し利用券や、小川町産の無農薬ハーブティーが発送されたことなどがアナウンスされ、イベントは和やかな雰囲気でスタートした。
参加者に送られたLove the Farmのオーガニックハーブティーと利用券
まず、運営を担当するあかりえ代表の谷口西欧さんと同理事でクリエイティブディレクターを務めた柳瀬武彦さんからあいさつがあった。数年前に小川町に移住した柳瀬さんは、小川町は星座のようなまち、と面白い例えをしていた。
「正直、小川町ってすごく有名な観光名所があるわけではないけれど、散らばる星を見つけて星座にしてみるとすごく面白い、みたいな楽しみ方ができるまちだと皆さん言ってくださる。この石蔵をコワーキングスペースとして再活用しようと話し合った時、ただ働く場所にするのでなく、この立地を活かしてまちに点在するいろんな場所をつないでいけるような、ホテルのロビーのような雰囲気の場所になっていくといいねって話しました」
NESToから徒歩圏の場所で、古民家カフェ「PEOPLE」も経営する柳瀬さん
あかりえは築80年の空き家を改修した民泊施設「ツキ」の運営も手がけていて、まち全体を一つの場所、ホテルのように見立てるアイデアは、まち宿からの発想だ。コワーキングロビーというNESToのコンセプトはこうして生まれた。
柳瀬さんによると、NESToというネーミングは、石蔵内部に鉄骨の枠組みを入れる今回の耐震補強方法が、動物の巣(NEST)のように思えたことから着想したという。それに小川の“o”を付け加えてNESTo。また、リノベーションを意識し、英語のs-t-o-n-e(石)を並べ替えるとNESToになるという仕掛けも忍ばせてある。アナグラムと呼ばれる手法だそうだ。
代表の谷口さんは、大谷石の起源まで時間のスケールを広げて、場所の魅力を語った。
「大谷石は今から1500〜2000万年前、まだ日本列島が海に沈んでいた頃に海底の火山が噴火して、その火山灰が堆積して出来上がった石。コロナで多くの人が直接触れ合う機会が減り、それぞれが新しい働き方や暮らし方を模索している今、人の一生を遥かに越えたスケールを持つこの石の空間が、少しでも働く人の活力の源になっていけばうれしい」
尽きない前代未聞のエピソード
メインとなったクロストークには、竹中工務店の蓑茂雄二郎さん、杉田工務店の杉田傑さん、センティードの埋田邦彦さんがゲストとして顔をそろえた。ファシリテーターは小川町で学生時代を過ごし、現在はフリーランスとして公共R不動産などで働く矢ヶ部慎一さんが務めた。
中学から大学時代までを小川町で過ごし、現在はあかりえにも在籍する矢ヶ部さん(右)。公共R不動産のサイトでNESToの記事も書いている。左は三玉さん
公的資金を活用した今回のプロジェクトには小川町、町のNPOや設計・施工を請け負った地元企業、そして建物の所有者と多彩なプレイヤーが参加している。全体の施工管理や調整役としてプロジェクトの一部始終に伴走してきた竹中工務店の蓑茂さんが、概要を説明した。
蓑茂さんの説明によると、リノベーション工事の主体となったのは石蔵保存協議会。あかりえと小川町、竹中工務店、そして建物オーナーの三共織物の4者で発足した。建設大手の竹中工務店が入っているのは、同社が2017年に立ち上げた新部署と関連がある、という話は興味深かった。竹中工務店は従来の建設工事だけでなく、森林資源や地域社会と一方通行でない循環型の関係性を築こうと「まちづくり戦略室」を立ち上げた。同社が推進する「森林グランドサイクル」実現を共に目指すパートナーとして、先だって町とあかりえと三者で連携協定を結んでいた下地が今回のプロジェクトにも活かされている。
蓑茂さんは、連携協定を軸に本社のある江東区に小川町の木材を使用した川床デッキを整備した事例を紹介。荒川上流に当たる“川上”の小川町と、“川下”の江東区、流域民同士の交流を促すイベントも行った
矢ヶ部さんは、およそ半年間の短工期をどう乗り越えたかという話を深堀りしながらトークを進行していった。経験値の高い施工のプロにとっても前代未聞のことが多かったそうで、逸話は尽きない。蓑茂さんは協議会が主体となり、運営側が設計段階から入って要望を伝えていたことが作業を円滑に進めることができた一因では、と指摘していた。
設計を担当した埋田さんも、打ち合わせが毎週に及んだ施工例は初めてだったと振り返る。
「設計だけでどんなに短く見積もっても4カ月はかかるのに、ほぼ半年で企画、設計、施工まで終えるというスケジュール。工事が始まった後でまだ設計中のものがあったり、工事中の設計変更もかなりあってなかなか大変でした。でも、その日決めるべきところをあらかじめ洗い出しておいて後戻りしない、みたいな意識を全体で共有できていたことが良かったのかなと」
構造設計の最終版が杉田工務店の杉田さんに届いたのは大晦日の夜だったというから、相当な過密スケジュールの中、工事が行われたことが推察できる。
スポットライトは大谷石と丸太梁に
続いて、埋田さんからは照明デザインへのこだわりが語られた。埋田さんは始めからこの工事では照明計画がキーになると感じていたそうだ。
「石蔵だったという用途上、長方形の一方の長辺側に小さい出入口が3つあるだけで、反対側の長い壁は一面大谷石。ほかには窓もなく、日光が昼間でも入ってこない。だから、空間の印象は照明で全く変わるだろうと思いました」
あかりえからの要望は2点。オーナーからの強い希望もあり、中央に等間隔に並ぶ5本の柱とその上を碁盤の目のように走っている梁をできるものなら取り払って広く使いたい。そして、いわゆる“ザ・オフィス”ではなく、サロンのような雰囲気にして、新しい出会いや創造が生まれるような場所にしたい、ということだった。
「予算が限られていたので、内部空間の改修がメインとなりました。室内に足を踏み入れた瞬間、以前とあまり変わらない外観からは想像できないような、驚きの体験をしてもらいたくて照明で足下と天井だけを照らし、実際よりも高さ方向の広がりを感じられるように設計しました。また、建物の両端に新たに会議室、キッチンやトイレのある小部屋を設けてあるので、どうしても改修前より狭く感じます。そこで、小部屋の上方をあえて照明で照らして長方形の長辺方向の奥行きを強調しています」
大空間に感じられるのはメリハリをつけた照明の効果が大きい
照明デザインでひときわ埋田さんの思いが伝わるのが、暖色の照明が蔵の建材に向けられている点だ。大谷石はもちろんのこと、埋田さんは工事前、格子上の梁にはしごをかけて登った時、突如眼前に現れた小屋組の美しさ、力強さに胸を打たれたという。
屋根最上部の棟木には完成日「大正拾四年の十二月三日」の墨文字が
地元のアカマツとみられる丸太梁と大谷石、両方に「日の目を見させてあげたい」一心で埋田さんは竹中工務店の構造設計者とやりとりを繰り返したという。「最初の補強案には丸太梁の下や開口部のない壁側にX字型などの鉄骨材がゴツゴツと、今よりもたくさんありました。でもそれだと鉄骨材が主役になってしまう。耐震補強としては鉄骨材が地震の振動を引き受けて最終的に地面に流す役割をしているので、どうしても必要なのですが、鉄骨材はあくまでも縁の下の力持ちにしたかった」
上方に計画されていた鉄骨材は最終的に細いワイヤに変える形で決着した
照明によって陰影が強調された大谷石は一つひとつ模様が異なり、表情豊かだ。いつまでも眺めていたくなる。多孔質でざらっとした独特の風合いには、あのフランク・ロイド・ライトもほれ込み、彼が設計した旧帝国ホテル本館に大谷石が採用された話は有名だ。
埋田さんはこう説明する。「産地の宇都宮にある大谷石資料館で教えていただきましたが、1960年に機械化されるまでは石工さんが一個当たり4千回近くツルハシをふるって石を切り出していたそうです。当時職人さんがつけていた斜めの飾り模様がこの蔵の石にも残っています」
“かにクレーン”を駆使した難工事
また、杉田さんは難工事のクライマックスともなった鉄骨材の搬入・組み立てについて話した。会場では蔵内の梁を順次撤去しながら、鉄骨のフレームを組み立てていく作業の動画を繰り返し流していた。
鋼材は蔵近くまで大きなクレーンで運び込み、そこから台車で中に搬入した
つまり今回の工事は内視鏡手術ではないが、既にある入り口を広げずに小さなピースに分割した鋼材を搬入し、高さの限られた室内で組み立て作業を行わなければならないという非常に難易度の高いものだった。しかも、安全に、最短工期で。
「石蔵の開口部が3カ所、それ以外の場所からモノは入りません。その1.3×1.9mの入り口を越える大きさのモノを入れるとなると屋根を外すほかないのですけど、とてもこの工期と予算ではできません」、と杉田さんは今回の特殊な事情を説明する。
「私は生まれも育ちもこの石蔵から100mほどのところで、今もそばに会社を構えて工務店をやらせていただいています。お話があった時からこれは難工事になるぞ、としばらくはそのことで頭の中がいっぱいでした」
杉田さんは先輩職人や専門家の意見も仰ぎつつ施工方法の手順を組み立てていった。
“かにクレーン”という建機について、この日杉田さんから初めて聞いた。足がたたまれた状態でコンパクトに移動させることができ、作業時は4本足で立ち上げてクレーン機として使える。山間部や狭小スペースでの工事に重宝するそうだ。
1本ずつ柱を抜きながら鉄骨を入れていった工程を説明する杉田さん。会場では“かにクレーン”の動きをイメージしてもらおうと矢ヶ部さんがミニカー版を紹介。子どもに人気があるそうだ
「屋根は残してやるしかなく、通常の大きなクレーンは使えません。そこで、かにクレーンを採用したのですが、今回の条件下での最大荷重が400kg。ブームと呼ばれるクレーンの腕に当たる部分を伸ばして上からつるのですが、屋根があるのでワイヤを引っ張り上げるつりしろの余裕がなく、350kgくらいでリミッターが効いてしまう。それもある程度は想定しておりましたので、上から丸太梁に少し手伝ってもらったり、下からジャッキで押し上げたり、そのようなことを繰り返しながら、安全に徹した確実な作業をしていこうと考えていました」
杉田さんは大正時代の職人たちの仕事を間近に見て、その精度に驚いたとも話した。
「100年前の仕事なのにすごいなと思いました。水平、垂直の出し方、梁の組み方。当然今のような重機のない時代にこれだけ正確な仕事を当時の職人さんがしていたことを目の当たりにして、これは負けてられないという気持ちでやっておりました」
「当時大谷石を削った人、丸太を組んだ人、そして、地主さん、今回かかわった人まで100年分の思いと歴史が詰まった場所で作業ができて光栄に思っています。今回鉄骨を建てる鳶(とび)さん、ジャッキアップをして重たいものを支えてくれる重量鳶さん、木造が得意な鳶さんなど、いろんな職人さんたちと一つのチームを作りましたが、本当に今の職人さんたちの技術もすごいなと改めて思いました」
100年の大谷石に負けない家具とは?
さて、ここに足を踏み入れた時から気になっていたのが、中央で圧倒的な存在感を放っていた巨木のテーブルだ。石蔵とほぼ同世代の樹齢100年ほどの大杉、丸々一本分をテーブルやいす、カウンターなどあらゆるところに使っている。
中央が樹齢およそ100年の杉の大テーブル。なでているだけで気持ちが安らぐ
提案したのは蓑茂さんだった。
「構造や設備を先行してやっていたので、予算配分も含めて家具は後回しになっていました。最終的に家具はどうしようとなった時、この空間に普通のテーブルを置いても負けちゃうよね、と。そこで、小川町らしさを出すためにも地元の木を使えませんかと提案しました。かなり厳しいスケジュールでしたので、『え? マジでやるの?』というあの時の皆さんの表情が忘れられません(笑)。でも結局、皆がやっぱりこれ以外選択肢はないよねという方向性でまとまり、地元の方のご協力を得て実現できました」
会場では、伐採のプロが腰越地区の山で杉を切り倒す映像が紹介された。バッサーッと高さ30mを超える巨木が狭い樹間にうまく倒れ込む瞬間には「うわぁ〜、すごい!」と周囲のスタッフからも声が上がった。
切り倒した巨木はその後、製材所でカット、加工され、センティードで一連の家具製作が行われた。「私も皮をはいだのですが、生木なので水がジャボジャボ大量に流れ出てきました」、埋田さんは巨木のすさまじい生命力を語る。
また、冒頭に蓑茂さんが触れたように、森林資源の循環を実践する試みもここでは始まっている。冬の厳しい寒さをしのぐために薪ストーブを設置、その熱をうまく活用した床暖房も行う予定だ。床暖房の設置にかかった追加コストは、あかりえがクラウドファンディングで広く支援を呼びかけ、目標額250万円を上回る343万3920円のファンドを集めた。
「小川は盆地なので冬は底冷えします。小川町は里山の活用にも上手に取り組んでいるので、今後は石蔵の使用エネルギーにも地域資源の活用をうまく絡めていければ、と考えています。薪が燃えているところの上にタンクがありまして、そこで熱交換された温水が床下に埋め込んだチューブに入っていって床が温まる仕組みです」
大谷石は断熱性能も良いそうだ。埋田さんも「大谷石は外気や室内の温度にすごく左右されるので天然の魔法瓶みたいなところがある。室内が一度床暖房で暖まってしまえば、ずっとポカポカ暖かいのでは」と、床暖房の効果に期待を寄せていた。
いつの日か世界のプラットフォームに
質疑応答に入ると、矢ヶ部さんは視聴者からチャットで届いた質問も交えつつ、ゲストに石蔵の活用アイデアを尋ねた。埋田さんは蔵の所有者が絹織物を扱う三共織物であることから、ここでいつか杉材の縦格子を背景にシルクの布などディスプレイした結婚式が開かれたら、と夢を話す。蓑茂さんは、杉のテーブル同士を合わせると一本の大木の形になることから、杉の断面が見えるようなロングテーブルにし、小川町のおいしい野菜やお酒が卓上に一斉に並ぶような企画を楽しみにしているという。
最後に、あかりえの谷口さんが今後の展望について話した。平日は主にコワーキングスペースとして運営するが、夜や週末にはライブやトークなど、文化的なイベントも企画していくという。谷口さんは、この場が持つ根源的な魅力について、改めて語った。
「先日ケニアで30年以上活動されていた女性のトークイベントを企画したのですが、ここにケニアの服を飾っても不思議と映えていました。この石蔵は日本的な建築なのですが、すごく懐の深い感じもあるなぁと。いつの日か、ここが人種や国の垣根を越えて世界のサステナブルタウンのプラットフォームのような場所に育っていったら面白い、そんなことも考えたりしています」
(文・岩井光子/写真・楠聖子)